さとり

先日、禅寺でお話を伺う機会が。
座禅と瞑想が主なテーマだったのだけれど、正直ちょっと大風呂敷を広げすぎた感じで焦点のぼんやりしたおしゃべりになってしまった。
そのなかででてきたお話が心にすっとしみた。

「悟りっていうのは「差をとる」サトリ、なんですよ、つまり自分と他者との間の差をとっていく。このことで、さまざまなことを自分のこととして捉えられるようになるから、環境問題なんかも解決していくよね。」

なるほど。
私は瞑想をして目指していく場所は、「わたしがあなたであなたがわたし、という状態」なのだろうな、と思う。そしてこのことは、戦争のない世界とか環境問題とかまあ『ロハス』なことすべてを解決してくれる『実感』になり得るんじゃないかしら?って思ったりも。
きっとこういう部分があることが、危機感をもつ人々の心を禅とかyogaにひきつけているのかもしれない。

不毛な時間をわざわざ北鎌倉まで出向いて過ごしてしまったようにも思ったのだけれど、そうでもない。いろんなことに意味があるんだなって最近思う。こういうのも、言葉にするとどんどん陳腐な感じになってしまうのだけれど。
腐らない言葉を追求していくのが、詩人という人々なんだろうな。

ニルヴァーナのプロセスとテクニック

ニルヴァーナのプロセスとテクニック

禅のある暮らし (Wanimagazine mook (270))

禅のある暮らし (Wanimagazine mook (270))