世阿弥って…花の概念

ということで続き。
義満の強くもった「花」という概念。
一面、花=稚児
そしてもう一面は、植物の花。
室町邸は別名「花の御所」室町台を花でいっぱいにしていた、というところとともに、花合わせ(華道の源流)を盛んに開催していた(実際花合わせが行われたのは晩年の北山台)という点においてもたいへん花を愛し、花に囲まれた義満の生活であった。

このころの室町幕府を描いた歴史書に「花営三代記」というものがある。将軍の営みは通常 柳営と呼ばれるのがふつうであるのに、ここにも花と例えられるほど、花のイメージが強かった。このことは、京都のイメージづくりに大変寄与したといっていい。現在でも京都の近衛殿の糸桜は見事で、花の名たかきは、まづ初花をいそぐなる、近衛殿の糸ざくらとうたわれるほど。

義満は、花が好き。若々しく美しいものがとにかく好き。そして、そういう政治をしていく。

時を同じくして、活躍した世阿弥は花をテーマに演劇を論じていく。

世阿弥の言う「花」とは観客の感動のことであり、花は花で、両者の花が同じものではないけれど、義満も世阿弥も「花」という概念を追及していた。奇しくも男色関係に萌芽する花という共通テーマが時代に表出したという点はおもしろい。

さて、義満について多く触れたけれど、世阿弥の生産的活動は主にその後の時代、世阿弥40台〜60台の義持の時代。その二十年間で現代の能は形式もかたちづくられたといってよい。
台詞などもほとんど変わっていないが、ひとつ違うのはスピード。およそ今の二倍のスピードだったのではないか?(これは意外な話だった!)

世阿弥が確立した能、猿楽から発展したというものではあるが、世阿弥は猿楽にある憑依的な側面についてできるだけ排除したいと思っていた。しかし、井筒などにみられる憑依的な「くるいの感覚」を、忍ばせていくという特性がみられる。
また、大きな特徴としていは、身体の抑制とうことがある。心は十分に働かせるべきであるが。演技の動きは七分にし、残り三部で観客の心を動かす、というのが世阿弥が打ち出した「身体の抑制理論」。これは現在舞踏においても基本となる考え方。またこの美学は、枯山水の庭や水墨画の余白に美しさをみる、間を尊ぶ美意識と通づる。この美学においても世阿弥はパイオニアであった。

現代の能にみられる独特の姿勢はまだこの時代にはみられないのだけれど、その部分以外の能全般に関して世阿弥は大変な影響をもった。現代の型も、ほぼ、方向づけた。
世阿弥のいう、やわらかさと強さの共存とは、抑揚のこと。身体と演劇表現のことをはじめて言葉にしたひと。とにかくすばらしい、発明者で発見者で実現者であった。

魅力的。