おくるということ

祖母をおくりました。
秋からの介護と、年明けからの入院でなんだか最後はこちらはバタバタ追いまくられるように、怒涛の日々を過ごしたのだけれど、逝ってしまえばあっけないようで、不思議なもの。

幼いころから、二世帯とはいえ、ほぼ同居家族で、嫁いでからも近所に住んでいた私にとっては、やはり祖母は大きな存在で、その祖母がいなくなったということ自体のかなしみや喪失感は大きい。
だけれど、こうやって近しい人が亡くなっていくとき、同時に思うのは、記憶の中にいる私の何かが失われていく喪失感だ。

過去の祖母との思い出を知っているのはもう、世界で私だけなのだ、という圧倒的な喪失感とその痛みに、そしてそんな昔を振り返るときに、私は近親者の死というものを本当の意味で少しずつ実感する。さびしい、と思う。