高嶺格の大きな休息

sayosayosayo2008-12-09

せんだいメディアアークまで観にいってきました。
高嶺格は、新しい作家、と言う感じがする。それは、アートの原動力になっているものの、その根本の違いだ。
現在現代美術家と呼ばれている主流のアートの元になっているものは、怒り、トラウマ、鬱屈…というような負のエネルギーと無縁ではないのではないか。不思議なことに、そのかなり近くにいるようにも思える高嶺格の作品からはそういうものは感じない。

批判という視点ではなく、世界がただそこにある、というような視点。
これはなんだろう?新しい世代の優しさにも似ている。

作品としてはやはり、明日のためのガーデニング。ここは目の見えない方にアテンドしてもらって回るという趣向。
ダイアロクインザダークみたいに、自分が彼らの世界に弟子入りするかたちではなく、こちらは見えているまま。この違いは決定的だ。見えているものと見えていないものの世界は、全く違うのだ。その差を抱えながら過ごす時間の不思議。私たちには、彼らの世界を垣間見ることすら絶望のように隔絶されている。
目の前で点字を読んでくれる彼のその世界の構造が、私の見ている世界を揺さぶる。大変刺激的な体験。

いろんなことを思ったけれど、まあ、今おもしろいと思う作家さんなことは間違いない。