礒江毅

【見ようとして、はじめてみえてくる。】



写実の作家展に行ってきました。

スペインでの方が名高いのかな?

礒江毅=グスタボ・イソエ マドリードのリアリズムの異才展に。



短い生涯の中で、つきつめたリアリズムの世界を存分にみられる回顧展でした。



その写実表現は、異才というにふさわしいけれど、

写真ではなく、実物をつぶさに観察しながら

何日でもかけて描くという、徹底したリアリズムは、

息がつまるほど切実。





今を生きている人や物が



【まるでほんもののように】



二次元の静止した世界に再現される不条理に、

生と死を踏み越えるような

敬虔な空気があるように思う。



会期ぎりぎりだったけれど、行けて良かった。





私の見ている世界は、本当にそこにあるものなのか。

八日目の蝉

いまさら感たっぷりだけれど、とうとう読了。
さくっと数時間で読める本だけれどテーマは重い。

八日目の蝉 (中公文庫)

八日目の蝉 (中公文庫)

不幸は不可抗力に訪れて、それは本当に不可避に思える。
ことに恋愛において、また親子関係において、私たちは絶えず無力感に打ちのめされる。

だけど、圧倒的な大きな不幸の中にも、甘い暖かい瞬間があるのだし、微かに光だって。

かなしいけれど、どこか甘い、女の話。

ひさびさに貸本

おやすみしていたツタヤ通い。
ひさびさにレンタル漫画。
最近コンビニで見かけて、いい意味でひどいタイトルだな、と思ったこれ。

男子高校生の日常 1 (ガンガンコミックスONLINE)

男子高校生の日常 1 (ガンガンコミックスONLINE)

 
思った以上にくだらなさがシュールだった。
オチでもギャグでもないコマが、哀しくていっそ笑える。
こういうの嫌いじゃない。

そして、ある意味似た作風?のこの人の漫画も。

ゆうやみ特攻隊(7) (シリウスKC)

ゆうやみ特攻隊(7) (シリウスKC)

面白いけど、残酷すぎる。この7巻はわりあいと、残酷表現控えめ。
今後どうなるのか、得体のしれないものに挑む心意気を応援したい。

手から手を鳥が渡る

小鳥と遊んだ幼い記憶。


幼稚園から小学校低学年のころ、
事務所で通りを眺めて留守番している御隠居さんが近所に居た。


お酒の癖が悪くて、飲まないと過剰なくらい寡黙、というそのおじいさんは
ご近所でも親しくしている人は少なかったみたいだけれど、
愛想のない、子供らしさの欠けたこどもだった私には
なぜだかとても安心できるお友達で、
よくその事務所を訪ねて、遊んでもらっていた。


寡黙な老人と、無口な子供の組み合わせでは話がはずむわけもなく、
私たちはいつも、小鳥の世話をしたりして過ごしていた。


彼の唯一の(お酒以外の)趣味だったらしい、鳥。
竹の横に長い和風の鳥籠に、手乗り文鳥や、四十雀を閉じ込めて、
たまに光さす、事務所の中で放したりしていたおじいさんは、
私にも餌をやったり、水を替えたり、たまに手に乗せてくれたりという楽しみをわけてくれた。


何時間でも、そうして、鳥を眺めたり、通りを眺めたり、
うさぎやのどら焼きを食べたり、そんな風に幾日だって過ごしていた。
今から考えると、晴れた日の記憶ばかりなのは
広大な空き地の向こう側という立地だった彼の事務所。私は家には、「空き地で遊んでくる」、
って嘘をついて遊びに行っていたのだろうなぁ。
稀代の嘘つきだった私にとっては、大人があまりいい顔をしないそのおじいさんを訪ねるのに
本当のことを言っていたとは思えないし、
近年まで、母や祖母は互いに私がどちらかのところで遊んでいると思っていて、
そのおじいさんと遊んでいることを知らなかったことを思えば、それが自然だ。


私にとってとても、大切な時間だったのだろうと思う、
ふとしたことで思い出す記憶のなかでも、いちだんと鮮明で美しい。


だから、こちらの世界が広がるのと、また、引っ越しもあったとはいっても、
呆気なく疎遠になってしまったのが、不思議だし、なんだか悲しいような気もする。


引っ越した後も、ご近所ではあったので、ごくたまに
家を訪ねて来てくれた。


交流がほとんどなかった家に、突然スイカをぶら下げて
私に、と言ったことが、母をとても驚かせたことや、
突然思い出のうさぎやのどら焼きを、買ってきてくれたりしたこと。


それを、若い私はたいして大切なこととも思わずに、
なんとなく受け取ってしまっていた。


彼が亡くなって、
もう十年以上の月日が流れて今さらこんなふうに思ったって仕方のないことなのだけれど、
私は本当に、あのおじいさんが好きだった。


そして、それに気付いたのは最近なのだ。
そのことがとてもとてもかなしく、愛しいような思いもする。


あの骨ばった老いた手と、私のまだ小さな手を
渡らせたり、返したり、小鳥をゆききさせていたあの温かな明るい日を、なぜだか甘く思い出す今日。

見上げる世界

sayosayosayo2011-05-01

近所を歩いていたらヒナゲシ矢車菊が咲いていたので写真に撮る。
背の低い花を見上げて見るのもちょっと気分が変わっていい。

さて、すっかり日記がご無沙汰。
さまざまに忙殺されていたのだけれど、その忙しさのひとつだったフィギュアスケート世界選手権も終わりほっと一息。

動画で過去のガチンスキーや小塚選手の表彰式をみて、大笑いしていました。
タテを紙袋にしまっちゃったり、トロフィーを下に置いちゃったり。
ああ、面白い。

だけれど、あの台に上るためにどれだけの努力を…と思うとその高みに絶句。

星を見上げること、空をながめることは涙をこらえる青春のポーズとしてはベタ中のベタだけれど、
臨床的にも目線を高く上げることは、痛みをこらえる効果があるそう。

人の自己防衛本能も捨てたもんではない。
とはいえ、私は上を向いて歩こう という曲は、肌に合わない。

梟の城

いまさらの司馬遼太郎

梟の城 (新潮文庫)

梟の城 (新潮文庫)

しっかりとエンターテイメントでした。
時代活劇って感じで、お色気放題なところは理解できるし、嫌じゃないけど、晩年になっても消えなかった女性に対する無理解が漂う。すべてにおいてというわけではないけど、何となく抵抗があるのは私が女性だからなんだろうな。
司馬遼太郎の女性の描写の源流をみるような気も。そしてそれが男性読者の圧倒的な支持を得るのかも。
街道をゆくが最も抵抗なく読めるなぁ。

英国王のスピーチ

ロイヤルウエディングに沸く世の中を横目に、
ロイヤルな映画を。

いい映画でした。
力強い主題に、ぴったりの役者、というアカデミー賞もとるでしょうねぇ、というしっかりした映画。観て損なし、な映画に満足。なによりヘレナ・ボナム=カーターのチャーミングで愛情深いエリザベスに心奪われる。
目を伏せうつむく表情が魅力的。